GUST NOTCH? DIARY

かいじゅうたちのいるところ / Where the Wild Things Are

さみしがり屋のマックスは一人で空想して遊ぶことが多い。ある日、姉や母親が忙しくて、自分の相手をしてくれないことに癇癪を起こしたマックスは、家を飛び出して舟で海へと漕ぎ出る。たどり着いた島には、怪獣たちが住んでいた。マックスは、自分は王であるといい、彼らもそれに納得したのだが……。
原作の絵本は知らなかったんです。それで、どんなファンタジーなんだろう?と。この映画の世界だけで見たことになるのですが、ビジュアル的な面はまったく問題ない。しかし、このストーリーは重過ぎないだろうか?
以下ネタばれあり。
怪獣たちの世界は、そのまんま、マックスの置かれている世界を表しているようだ。キャロルをマックスとして置き換えると分かる。つまり、マックスはキャロルを通じて自分自身を見ているのだ。マックスはキャロルの振る舞いから自分の行動を省みることになる。そして、この怪獣たちとの世界というのは、マックスの空想の産物であることは明らかである。つまり、マックス自身の中で完結しているわけだ。ひとりよがりで家を飛び出したマックスは、自分の世界に篭りつつも、自分の力で気づき、理解し、自らの意思で家に帰る。そういう話になっていると思う。
原作はこんなに深い話なんだろうか?と思って、本屋で原作を立ち読みしてきた。そしたら、怪獣たちの世界で行われることで明確なのは「かいじゅうおどり」だけで、それ以外は絵のページが続くだけだった。つまり、マックスが怪獣たちと何を行うのかは、読者の解釈にゆだねられていたのだった。
原作では、単に怪獣たちと楽しい時間をすごして帰ってくるように感じた。それに対して、映画は、マックスの成長の物語として作られている。解釈のひとつとしてはアリだが、これが唯一の解ではないということも理解しないといけない。原作の印象とは違うと感じる人もいるかもしれない。
原作には、ある意味忠実。そして、それを長編としてうまく膨らませることにも成功していると思う。監督の作品作りにも明確な意図があり、それをきちんと表現しているのだろう。でも、物語としては何か物足りなさを感じてしまった、というのが私の感想です。