GUST NOTCH? DIARY

日本でパーソナルファブリケーション文化を育てるためには?

昨日今日と、実家のタンスの把手が壊れてしまっていたのを修理していて思ったことは、日本の住宅事情はアメリカとは違うので、いわゆる工作室・作業場というものがないことが、ものづくりの文化に遅れを取っている要因なのではないのかということなのです。
うちの実家もそこそこの田舎なので、まあそれなりに工具とかはあるんですけど、うちの場合は物置の中にしまってあって、その場ですぐに作業できるような状態にはなっていないんですね。庭にある車を出してしまえば、外ではありますが屋根のある場所で作業できなくはないですが、それでも電源は家の中か、家の裏にある外のコンセントから引っ張らないといけないし、作業台みたいなものもないので、そのあたりに転がってる箱なんかを持ってきて使う必要があったりするわけです。
今日の場合は、もう把手の部品を新しいものと交換してしまおうと思って近所のホームセンターに行ったのですが、いろいろと制限のある中で代わりに使えるものが見つからず。壊れた原因は、把手の部分とそれを受ける部分が両側で摩耗していて外れてしまったことにあったので、受け側の金具と把手の部分とをひっくり返して左右逆にすることで外れにくい組み合わせにし、さらに把手の部分を万力で挟んで開き気味だったものを外れにくく噛むようにしました。
本気でやるなら、溶接してもう少し爪の部分をのばして、同時に受けの部分の削れた部分を盛るのですが。
この作業をホームセンターの工作室を借りて行ったんですが、そこには当然ですが一通りの工具がそろっているわけです。ここまでじゃなくてもいいから、自宅に工作室や作業場があればいいのに、と以前から感じていたんです。
まあ、実家でもそういう状態なわけですから、普段の自宅の方はもっと何もできないんですよね。実は工具箱もないし、半田ごてもないし。ドライバーとラジオペンチくらいしかない。それ以上のことを最初からあきらめてるというのもありますけど。
さて、映画などを見ていると、アメリカの場合ってガレージとか地下室とかがあって、そこが作業場になっていたりすることがよくあります。壁には工具がぶら下がっていたり、というイメージ。ジョブズゲイツもガレージからはじまったわけだし。そういう下地があって、それでいて地方でもそれなりの材料が手に入る、という環境があったことが、やはりいろいろなモノを発明できる背景にあると思うのです。
普段から、さらに言えば幼少期から、ものづくりができる場所が身近にあるかないかってのは、結構重要な要素だと思うんですよ。工学系の大学や企業に行けば、その手の場所が提供されるのかもしれませんが、早いに越したことはない。なんでも買ってしまえば事足りる現代で、自作スピリットが芽生えるかどうかが重要。日本でいえば、プラネタリウムの大平さんは自宅の7畳間でしたっけ?自宅で花火を作ったり、作るのを許したりする親は私の周りではあまりいなかったように思います。そもそも田舎だと素材が手に入りにくいのですが。小学校のころに基板をエッチングしてたのは同級生でひとりだけいましたね。
fablabってのは個人じゃ手のでない工具や機材がそろっている場として意味があると思うので、日本でもどんどん増えてほしいと思います。と、同時に、今日お世話になったホームセンターなどでも、身近な作業場という意味で素材の購入者以外にもどんどん作業場を開放して欲しいと思います。
でも、ノコギリやドリルを子供が使うのは危険だ、そういう場所を提供するのはけしからん、っていう意見が出てきちゃうんだろうなあ、きっと。