- 1000 yen @ 109シネマズ川崎4, K-11, 19:40, ★★(2/5), 2013-111
片山はあるSMクラブに入会した。日常の中に女王様が現れ、彼を痛めつけるシステムだ。しかし、その場が会社や自宅など徐々にエスカレートしてきた。退会しようとしたが受け付けてくれない。しかし、快感を感じていることもまた事実だった。
SMを題材にするのは別にいいんですけど、それを公共の場に持ってきて、しかもそれで笑いを取りにいこうとしているのが間違いだと思う。さらにはメタ視点のシーケンスを持ってきて、そこでセリフで説明させるというのはアウト。コントで「今のところはこういう意図でやってるんだから笑うところですよ」なんていわないのと一緒(たまにやることもあるけど)。
SMならSMでSとMと快楽を描けばいいのであって、そこにお笑いを入れる必要はない。逆にお笑いで行くならSMでいく必要はない。そういう意味ではまだ「さや侍」や「しんぼる」の方が割り切っていてマシともいえる。
寿司屋のシーンと唾液の女王のシーンは人によっては嫌悪感もあるだろう。で、この寿司屋のネタはもともとお笑いネタとして作っているもの。つまり、あれで笑いを取りに行っているということになる。ごっつええ感じでネタとしてやってるなら、まだアリだろうけど、映画として作ってるんですからね。映画にする必要、映画でやる必要あったの?と。
結局のところ、設定とネタはあるけど、ストーリーはない。今回の場合、わざわざ80年代くらいの設定にしてたり、謎のSMクラブとか、「歓喜」というキーワードとかの設定はあるんだけど、子供がいて寝たきりの妻がいる状況でSMクラブに入会して子供をほったらかしているとか、何かの伏線かと思ってみていると実はなんでもなかったりとか、突然謎の男が現れるけど、これまたストーリー上何もなかったり。
今回の場合、メタシーケンスはなくして、その分ちゃんとそれを示唆するシーンを仕込んで、SMシーンにリアリティを出せば、なんだかよくわからないけどエログロナンセンスなカルト作品に仕上がったと思う。ま、セリフで説明しているところを映像で表現できないうちは駄目でしょうね。ただネタを並べてるだけの長いコントになると思う。
今回のR100って意味もそこで言わせちゃったし。