内容としてはちょっと物足りなさを感じる。社内報のベストセレクションといった感じがしなくもない。社内報にしてはボリュームがあるけど。
80年代のナムコ黄金期に、「ギャラクシアン」「パックマン」というゲームに憧れて過ごした、そして「ゼビウス」をするためにファミコンやプレステを買った私の感覚としては、90年代以降のナムコには勢いがなくなったように感じていた。それは単純に私がテレビゲームというものから遠ざかったから、あるいは、流行りのゲームのジャンルが私の好みとは違ってきたからかと思っていたのだが、それだけではないらしい。どうやら、私以外の人にとっても、やはり80年代がナムコの黄金時代であるという認識を持つ人は少なくないようだ。
ナムコは事業を広げて成長しているように見えるし、ゲームセンターに行き、改めて見回すと「太鼓の達人」など、幅広い層を取り込んだヒット作がないわけではない。しかし、創業50年を向かえた今年、バンダイとの経営統合を発表した。今までもいくつかの会社を吸収合併してきたナムコではあるが、肝であるアミューズメント業においてバンダイと統合しなければならない状況そのものこそ、現在のナムコの状態というものを如実に表しているともいえる。この20年でナムコはどう変わったのだろうか?
気がつくと、ナムコは外食産業や映画産業をも取り込んだ巨大企業になってた。だが、このことは20年前に中村雅哉現会長が描いていたプランを着実に実行してきた結果といえる。当時から「これからは第三次産業(サービス業)は第四次産業(知識型サービス)と第五次産業(情緒型サービス)に細分化して考えるべきだ」ということを述べている。第三次産業はレストランなどの筋肉・物流型のサービス業、第四次産業はコンビニなど付加価値を利用したサービス業、そして第五次産業は映画・芸術などの文化を包括したサービス業のことだという。だから、改めて振り返ってみると「イタリアントマト」や「日活」を傘下にして、テーマパーク事業を進めてきたのも納得ができる。
創業以来、ナムコの企業理念の中心には常に「遊び」というものがあった。これは、現在の「人類遊び研究所」まで、確実に受け継がれている。だが、黄金期である80年代のスローガンはというと「『遊び』をクリエイトする」であった。「遊び」の「創造」から「研究」へとフェーズが移ったのだ。いわば、「『遊び』をプロデュースする」ナムコだ。テーマパーク事業はまさにこの路線だ。「食『を』楽しむ」のではなく「食『で』楽しむ」のがフードテーマパーク。「食」のプロデュースである。
この方向性は、主軸事業であるはずのゲーム開発に対する姿勢にも現れている。2002年の組織改革によって、「ハズレの少ない」ゲーム作りになったのだそうだ。従来型の現場叩き上げ型の開発は10%。守りに入ったともいえる。しかも、それ以前、90年代以降のヒット作を振り返ってみると、「鉄拳」はカプコンの「ストリートファイターII」に始まる格闘ゲームの流れだし、「太鼓の達人」はコナミの「DDR」に帰着できる。高品質な作品を提供はしてくれるが、ブームに乗った二番煎じという見方もできなくはない。もちろん、それ以前の作品の中にも、他社に対抗して開発されたものもあるが、オリジナリティに溢れる作品の方が多かったように感じる。はたして、今後は独創的なゲームがどの程度生まれてくるのだろうか?それは、今後のなりゆきを見守るしかない。数年後に結果がでてくるだろう。
ナムコのテーマパーク事業は大成功をおさめている。今後も新たな切り口で展開を見せることだろう。しかし、テーマパーク事業の欠点は、「場所が限定される」ということだ。地方出身の私としては、子供の頃に都市圏で行われるイベントは指をくわえて見ているしかなかった。万博然り、ディズニーランドも然り。ワンダーエッグも私が関東に出てくる直前で終わってしまった。立地と客層をしぼることで十分なペイが得られるだろうが、それは、それ以外の客層の切捨てをも意味する。その点、ゲーム機は田舎の駄菓子屋の片隅にもあった。インターネットも携帯電話もなかったが、全国の子供たちは時を同じくして楽しみを共有できていたのだ。ちなみに、ナムコの2番目のスローガンは「お子さまの夢を創る」だった。
バンダイと統合し、今後もナムコは新たな成長を続けるだろう。はたして、ナムコに「第二の黄金期」と呼ばれる時代はやってくるのだろうか?そのとき、かつて憧れを抱いた会社と同じ輝きを放ってくれているだろうか?私は、そのときもナムコファンでいるのだろうか?
- 参考:「超発想集団ナムコ(ISBN:4569213278)」