GUST NOTCH? DIARY

ビデオゲームのマニュアルにおけるストーリーの記載量の増加要因について

ビデオゲームソフトウェア付属マニュアルの内容分析的研究―「物語設定」を対象とした調査と考察―」という論文を見つけた。

要旨部分をそのまま引用してみる。

本研究ではファミリーコンピュータビデオゲームソフト付属取扱説明書(マニュアル)の記載内容を対象に、テキストマイニングを活用した分析を行った。とくに本論では「物語設定」に注目し、1983 年から86 年までの推移についての考察を行った。その結果、85 年から86 年にかけて、平均ページ数が約1.7 倍、「物語設定」に登場する単語数も約1.78 倍と急速な変移がみられた。その理由として、85 年以前の物語設定がプレイ中の情報を補足するためのものであったのに対し、86 年以降は、半導体の進化によってより複雑な物語をゲーム内で展開できるようになったため、その複雑な世界観や物語の背景をマニュアルで説明する必要性が生じたことが挙げられる。ゆえに、86 年を日本のビデオゲーム固有の特性である物語性の起源として位置付けることができる。

かなり厳しい意見を言うが、この主張はいくつかの点でポイントを外していると思う。特に

半導体の進化によってより複雑な物語をゲーム内で展開できるようになったため、その複雑な世界観や物語の背景をマニュアルで説明する必要性が生じたことが挙げられる。

というのはまったく逆なのではないだろうか。この間違った(と言ってしまうが)結論に至ったのには、前提と対象に問題がある。仮説生成型研究であるから元となるデータが間違っていたのでは、間違った結論が導かれてしまうのもしょうがない。
問題があるのは以下の点である。

  1. 対象をファミコンに絞ってしまったこと
  2. ジャンルを無視していること
  3. 調査対象を83年から86年に絞ってしまったこと

まず、対象をファミコンに絞ってしまった。これにより、それまでのアーケードゲームにおける物語設定の有無を無視してしまった。初期のファミコンソフトは有名アーケードゲームの移植とスポーツゲームが多かった。有名ゲームということは(元々のストーリー設定の有無にかかわらず)多くの人がそのゲームの遊び方を知っていたということになり、結果、マニュアルにも詳細な記載は必要がなかったということだ。そもそも、アーケードゲームの移植の場合は、筐体に備え付けられたインストラクションカードによって、最低限の設定しか示されない。これがそのまま説明書に転載されたという可能性もある。また、(この論文では調査対象にはなっていないが)スポーツゲームの場合は、ベースボールやテニスなど、これまたルールは明確であり、操作方法が分かれば十分なのだ。
Wikipediaの「ファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧」を見てもらえば分かるが、1983年に発売されたソフトは、「ポパイの英語遊び」「ドンキーコングJrの算数遊び」を除いて、アーケードの移植とスポーツ、麻雀である。翌84年までを見ても、ゲーム設定の説明が必要となるファミコンオリジナルゲームは「デビルワールド」と「クルクルランド」のみである。ナムコが参入することにより、「ゼビウス」が第一のファミコンブームの牽引となった。85年になると一気にサードパーティが参入してくるが、まだほとんどがアーケードやPCゲームの移植であり、その中でファミコンオリジナルの「スーパーマリオブラザーズ」のヒットがファミコンの人気と地位を決定づけた。ファミコンオリジナル作品が増えるのは86年頃からである。

つまり、86年ごろまでは、アーケードゲームとPCゲームのヒット作を遅れてなぞっていたにすぎない。もし、85年と86年の間に変化があったのだとしたら、それはアーケードゲームとPCゲームにおいては数年前に起こっていた出来事なのだ。
では、ファミコンにおけるその変化は本当に85年と86年の間にあったのか?答えはNoである。本文中でも指摘されているが、ここでマニュアルのページ数が倍になっていることが指摘されている。この理由は、なんてことはない。ここでソフトのパッケージが変わったのだ。時期的には「スーパーマリオブラザーズ」の発売のあたりで、それまではカセットとほぼ同じサイズの箱だったものが、一回り大きな箱になった。箱の大きさに余裕が出来たことで、マニュアルのページ数も増やすことができた。そんなところだと思う。
ここで、ゲームのジャンルを無視していることも影響してくる。84年までは前述のとおり、アーケードとPCからの移植、特にアクションゲームに分類されるものがほとんどだった。しかし、PCゲームの世界では、アドベンチャーゲームロールプレイングゲームのブームが既に起こっている。ちなみに、「デゼニランド」は83年、「ウィザードリィ」や「ウルティマ」などが日本でブームになったのはそれより少し前である。アドベンチャーゲームロールプレイングゲームは、ストーリーがあるのが当たり前だ。このジャンルがファミコンに入ってきたのが、85年の「ポートピア連続殺人事件」と86年の「ハイドライド・スペシャル」からなのだ。86年は「ドラゴンクエスト」「ゼルダの伝説」も発売されている。この年からストーリーの記述が増えるのは自明なのだ。
また、本文では「メディアの容量が増えた」→「物語の表現が可能となった」としている。しかし実際は逆で、ロールプレイングゲームの台頭がメディアの大容量化を要請したのであり、物語性を持ったゲームを実装するためにメディアの容量が増えたのだ。
ここまでに述べてきたように、アドベンチャーゲームロールプレイングゲームにはストーリーあるいは目的は明確にあるのが当然であった。したがって、ゲームにおける物語性の導入については、アクション・シューティングゲームにおいてそれがどのように、何故取り入れられるようになったのかということの方が興味深い。もちろん、この著者も指摘しているように、ターニングポイントとなったのは「ゼビウス」である。しかし、ゲームがストーリーを重視し始めたことと、それがマニュアルへ記載されることとの相関は薄いと思われる。そういう情報を提供する場は、マニュアルではなく、ミニコミ誌や雑誌などであったように思う。ちなみに、「ファミコン通信」が「Login」から独立創刊したのが1986年であり、第一号の特集は「ゼルダの伝説」だったそうだ。